★みんなの笑顔が見える社会を取り戻そう★

素顔ジャパンプロジェクト

みんなの笑顔のために11の願い

素顔ジャパンプロジェクトの活動理念を、私たちの11の願いとしてまとめました。

1.コロナ前の素顔が当たり前の生活に

町で出会った人と「おはよう」と挨拶をする。そのとき私たちは、決して音声だけで意思疎通をしているわけではありません。互いの表情を見て、口元の微笑みに安心を感じたり、あるいは頬のこわばりから悩みがあるのではないかと察したりしながら、社会生活を営んできました。

お互いの顔が見えることは、人と人とのコミュニケーションの基本です。私たちの第一の願いは、コロナ前の素顔が当たり前の社会を取り戻すことです。

2.マスクは任意? 本当に個人の自由になっている?

2023年3月13日以降、政府の指針によりマスクの着用は「個人の判断」となりました。あれから1年、本当に個人の自由になったのでしょうか?

外を歩けば、たしかにマスクをしている人と、外している人、半分ずつくらいで個人の判断になったと思えるかもしれません。しかし店舗や公共施設の多くで、スタッフは全員マスクという場面があります。学校でもクラスのほとんどの子がマスク姿で顔が見えない、というケースが珍しくありません。気になって聞いてみると「個人の判断です。任意です」と回答があるのです。

みなさんの職場や、お子さんが通う学校では、いかがですか? 建前だけの自由になっていませんか? 同調圧力という簡単な言葉で片づけるのではなく、ぜひみなさんで考えてほしいと私たちは思います。

3.体育や運動会でも…、危険なマスクをやめさせよう

マスクの問題が特に深刻なのは子供たちです。小学校の高学年から中学生や高校生の多くが、マスクをずっと外せずにいます。登下校中や授業中はもちろんのこと、体育や運動会、あるいは部活動などの激しい運動を伴う際も、マスク着用のままという子が少なくありません。

もちろん個々の学校によって、先生方の呼びかけの濃淡によって、状況は異なるようです。ただ夏の炎天下、熱中症のリスクがあるときでさえ、マスク姿のまま運動をさせるというのは、感染対策云々のレベルではなく、もはや虐待であり体罰であると言っても過言ではないでしょう。

「外すことを強制できない」との中途半端な言い訳で、見て見ぬふりがされているケースもあります。その結果、意識がもうろうとして倒れて搬送され、最悪命を落とすという事例もあります。危険なマスクは即時やめさせる。当たり前の対応を強く望みます。

4.顔を見せるのが恥ずかしい子、継続的に寄り添った対応を

子供たちにとってのマスクの問題が簡単でないのは、もはや感染対策のためではなく、顔を隠すためのツールとなり、外して顔を見せるのが恥ずかしいという精神面の影響が大きくなってしまったことです。

学校で先生が、あるいは家庭で保護者が外すように呼び掛けても、かたくなに外そうとしない、外せなくなってしまった子が一定数います。成長期の心理に及ぼした影響はあまりに大きく、極めて深刻な現実ですが、残念ながらこの問題を積極的に取りあげる政治家も文化人もメディアもほとんどいません。

体育などの運動時も外せない、四六時中マスクが手放せなくなってしまった子については、強制的に外させるのは逆効果ですので、専門的なカウンセリングが必要になるでしょう。私たち大人が責任をもって、継続的に寄り添った解決策を考えていくことが必要です。

5.笑顔で会食! 脱マスクの一歩は食事を楽しむところから

マスクを外せない、顔を見せるのが恥ずかしい。子供たちだけでなく、大人にもそう思っている方がいるかもしれません。無理なく少しずつ外して、素顔の生活に戻していくために、私たちが提案したいのは、気の置けない友人や仲間たちとの会食です。

飲食するときはもちろん、みんなマスクを外します。口を開けて、しっかり食べて飲んで、笑顔で会話を楽しみましょう。やっぱり相手の表情が見えるっていいな、そう感じてもらえたら、素顔生活に戻ることへの抵抗も少しずつ薄れていくのではないでしょうか。

残念ながら一部の学校で、黙って給食をとる「黙食」を続けているところがあるそうです。会話を楽しみながら食事をする、食育基本法にも定められている子供たちの権利を損なわないでほしいと願います。

6.店員、職員、施設スタッフ、明るい笑顔で接してほしい

スーパー、デパート、家電量販店、銀行、役所、図書館、公共交通など、あらゆる場所で「顔の見えない接客」が続いています。鼻と口を覆ったマスクは人の表情の半分以上を隠してしまいます。せっかく微笑んでいてもマスクをしていたらその笑顔は相手には見えません。無表情で冷たい印象を与えてしまいます。

一方で笑顔には、周りの人々にポジティブな感情を伝染させていく効果があります。テレビCMや雑誌の広告、ホームページなどを見ると、店舗のスタッフも事務所の職員も、みな笑顔を振りまいています。素顔のほうが明るくてイメージがよいと、本当はみんな分かっているのではないでしょうか?

もちろん企業によって店舗によって、素顔での接客に切り替えているところもあります。いつまで顔を隠し続けているのか、それが世の中のためになるのか。経営者、店長、施設長など、リーダーの決断が待たれます。

7.顔が見えないのは不安…、防犯の観点からも素顔を見せて

私たちが素顔を推奨するのには、もう1つ大きな理由があります。それは防犯面の問題です。今の時代、覆面をかぶっていたり、サングラス+マスクのような分かりやすい不審者は少ないかもしれませんが、それでも顔を隠すのが当たり前である社会は、少なからず犯罪者を利する恐れがあります。

街の安全を守る警察官、各家庭を訪問するのが仕事である宅配業者や工事業者、営業スタッフの皆さん、防犯の観点から素顔を出してもらえると安心です。

「知らない人にはついていかないように」子供たちに防犯教育をする際の常套句ですが、そもそもみんなが必要以上に顔を隠していたら、誰が誰だか区別がつきません。近所の人に挨拶をされても分かりません。お互いに顔の見える関係性こそが、地域社会の安全を守ります。

8.コロナ禍で増えた不登校や自殺、心の健康に目を向けて

コロナ禍で小中高生の不登校や自殺が増え、高止まりしているという悲しいニュースがあります。もちろんそこには学校行事の中止や縮小、さらには家庭の経済事情なども含めて、様々な要因があることとは思いますが、長過ぎたマスク生活の影響も大きいと私たちは懸念しています。

マスクの問題に際し、大人と子供で大きく異なることが2つあります。1つは子供は心身ともに成長途中であること。もう1つは大人に比べてはるかに頻繁に、環境が変わって新しい人間関係を築く機会があることです。

進級進学で、友人や先生の多くが初対面という場面があります。そのとき周りみんながマスク姿で顔を隠していたら、名前を覚えることも難しいでしょう。表情が読めず、友達に馴染めず、閉じこもってしまう子もいるでしょう。私たちは子供たちの心の健康を、あまりにないがしろにし過ぎているのではないでしょうか?

9.児童、外国人、聴覚障害者、表情を見せてコミュニケーションの配慮を

多様性(ダイバーシティ)の観点からも素顔のコミュニケーションが望まれます。

発達期の乳幼児や児童にとって、顔の見えるコミュニケーションはとても重要です。言葉を覚えること以上に、笑っているのか怒っているのか、相手の表情を見て多くのことを感じ取り、社会のあり方を学んでいきます。ぜひ小さな子供たちの前ではマスクを外して、素顔で話しかけてあげてください。

日本に暮らす外国人の数は年々増えて、中には日本語が上手でない人も多くいます。一度でも海外へ出かけたことがある人なら分かると思いますが、たとえ言葉がうまく通じなくても、相手の笑顔に安心できます。身振り手振りと表情のやり取りでコミュニケーションできるのです。もちろん日本に来る外国人旅行者を迎える際も、笑顔こそ「おもてなし」の第一歩ですね。

聴覚障害者にとってもマスクはコミュニケーションの大きな阻害要因です。表情を読めず、唇の動きで会話を読み取ることもできません。来たる2025年、東京で聴覚障害者の五輪と言われるデフリンピックが開催されることをご存じでしょうか? 過剰なマスク社会が世界の人たちにどう見えるのか、私たちは懸念しています。

10.美容や健康、そして環境問題からも、マスク常用の是非を考えて

マスク着用がこれだけ広がった理由の1つとして、マスクをしていると顔がきれいに見える、おしゃれであるという意見も耳にすることがありますが、本当にそうでしょうか?

着け続けることで口呼吸になり口腔の衛生環境が悪化、虫歯や歯周病の原因になるという指摘があります。肌荒れやニキビが増えたり、顎関節症が増えたり、筋肉の動きが小さくなることによる顔の衰えなど、様々な影響も見られるそうです。一時的な着用であればそこまでの心配はなく、常用が引き起こす弊害と言えるでしょう。

街中にポイ捨てされたマスクをコロナ禍以降よく見かけるようになりました。不織布マスクは紙ではなく、プラスチック樹脂でできています。そのため自然には簡単には還りません。川や海に入ってしまうと長期間その中を漂い続けることになり、海の生物に害を与える可能性もあります。SDGsが叫ばれる現代において、自然環境保全という観点からもマスクの大量消費は見直す必要があるでしょう。

11.問題の存在に向き合って、国民的な議論のきっかけに

私たちはマスクの一切を否定しているわけではありません。風邪をひいたとき、花粉症の症状があるとき、食品工場や清掃作業中、あるいは病院の手術室など、必要な場面で適切に着用するのは望ましいことです。

声を大にして言いたいのは、任意と言いつつ実質的な着用圧力が続いている場所が少なくないこと。そしてまた、素顔を隠し続けることのメンタルヘルスに及ぼす弊害、とりわけ子供たちの将来に対する影響を真剣に考えてほしいのです。

残念ながらこれまで、この問題が政治やメディアの場で取り上げられることはほとんどありませんでした。何より私たちはみなさんに、職場や学校や家庭で、周りの人たちと真摯に話し合ってほしいと思います。素顔の見えない生活をいつまで続けるのか。国民的議論のきっかけになることを願います。

>> 思いを同じくするみなさんの、参加・お問い合わせをお待ちしています



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